30代半ばで食品工場に勤め始めて、はや18年。
”底辺の職業”と揶揄されることもある工場勤務ですが、高卒の私はそれ以前にも、いくつかのいわゆる”底辺職”を渡り歩いてきました。
この記事では、工場勤務18年の私が「これまでに経験した底辺職」、「底辺職を渡り歩くことになった理由」、そして「底辺の仕事を抜け出す方法」についてお話しします。
食品工場(大手関連会社)オペレーター歴18年。
現在も課長職として働く高卒・工場ワーカー。
過去に記者、IT関連営業など10を超える職種を経験。
現在は副業でブログ運営、Webライターとして活動しながら、定年後の”独立”をめざしています。
”底辺の仕事”とは
インターネットで調べたところ、これらの職業が”底辺職”と呼ばれることがあるそうです。
- 清掃員
- ゴミ収集作業員
- 販売員
- 倉庫作業員
- スーパー店員
- 飲食店スタッフ
- コンビニ店員
- 建設作業員
- 工場作業員
- 配達ドライバー
- 警備員
- 事務員
- 農業労働者
- 介護職
- 保育士
- コールセンタースタッフ
- パチンコ店員
- 受付係
- パートタイマー
- フリーター
なぜ底辺なのか理解し難い仕事も含まれていますが、これらの職業が底辺職といわれることがあるようです。
なぜ”底辺職”と呼ばれるのか?
社会の成り立ちを三角形に例えた場合、「社会を底面で支える重要な職業」という意味で「底辺」という言葉が使われるのであれば理解できます。
しかし、多くの場合はネガティブな意味で用いられるようです。
なぜ、これらの職業が底辺職と呼ばれるのでしょうか?
以下のような一般的な「イメージ」が理由として挙げられます。
- 低賃金
- 単純労働
- 重労働
- スキルの難易度が低い
- 将来的に不安定である
- 職業差別、偏見
実際に”底辺職”を渡り歩いてきた私からすれば、まったく当たっていないともいえません。
しかし、収入や仕事の内容、将来性などは個々の会社の規模、雇用形態によっても異なるため、ひとくくりに「底辺職」だと決めつけるのは誤りです。
大切なのはそれぞれの「生活水準」に見合った「ワークライフバランス」ではないでしょうか。
私の”底辺”職歴
高3で一校だけ受験した大学に落ちた私は、就職活動をすることもなくフリーターとして社会人になりました。
その後、派遣社員、正社員としてさまざまな職種、会社を転々としました。
私が現在の工場までに経験した”底辺職”は次のとおりです。
- フリーター
- 飲食店店員
- 工場作業員
- 販売員
- 配達ドライバー
- スーパー店員
- パチンコ店員
それぞれの仕事について内容や辞めた理由をお話しましょう。
フリーター、飲食店店員
高校を卒業して最初に始めたのが商業施設に入る飲食店の厨房兼ウェイターでした。
時給は800円とかだったと思います。
もちろんずっと続ける気はなく、数か月で辞めることになります。
地方住みだった私は、この期間に東京へと出ることを決めます。
工場作業員(自動車部品、交替勤務)
東京へ出るため資金を貯める必要があった私は、人材派遣会社に登録して寮のある自動車部品工場で働き始めました。
3交代勤務で、型に樹脂を流し込み、車のダッシュボードを作る仕事でした。
人材派遣といっても、現在のように待遇は良くなく、社会保険や雇用保険には未加入だったと思います。
しかし当時の私はまったくの世間知らずで、特に疑問を抱くことなく約1年間、働きました。
目的だった引っ越し資金が用意できると、いよいよ東京23区内の4畳半一間のアパート(風呂なし、共同トイレ)で暮らし始めることになります。
フリーター、販売員
就職先のあてもなく、無計画で東京暮らしを始めたのですから、やはりフリーターからのスタートとなります。
記憶にあるアルバイトとしては、東京ドームでのマイケル・ジャクソンのライブの観客整理、NHK関連の台本などを作っていた印刷会社、テレビの視聴率調査で有名な会社での訪問アンケートスタッフなど。
アルバイトですから当然、収入はわずかです。
家賃3万2千円のボロアパートでの生活がしばらく続きましたが、友人からデパート(百貨店)での販売員の仕事を紹介されたことで、少しだけ生活水準が上がりました。家賃6万4千円の風呂ありアパートに引っ越したのです。
当時はバブル景気の真っただ中で、デパートにも多くの人が買い物に来て高額な商品がよく売れていました。
そのため「マネキン」と呼ばれる販売員も、わりと良い日給を貰えていた時代です。
デパート以外にも家電量販店やディスカウントショップなどでの販売も経験しました。
給与はそれなりに良かったのですが、やはり派遣という雇用形態と、人にモノを売るのが苦手という私の適性を考えて、3年ほどで辞めることになりました。
配達ドライバー
東京では他にもいくつか正社員の仕事に就いたのですが、結婚と第一子誕生をきっかけに、妻の実家に近い地方へと移住しました。
これといったスキルのない高卒が、東京で子供を育てていくのは難しいと感じたからです。
移住先でも就職に苦労することになるのですが、約3ヵ月で辞めたのが「配置薬のルートセールス」です。
配置薬と聞いても、多くの方はピンとこないかも知れません。
病院やドラッグストアが近くにない家庭に「常備薬」を置かせてもらい、使用した薬の分だけ料金を貰うというシステムです。
配達ドライバーとは少し異なりますが、クルマで担当地域内を回る仕事という点は同じです。
当時からドラッグストアが店舗を増やし始めていたので、配置薬の将来性を考えたときに、やはり長く続けるのは難しいと判断せざるを得ませんでした。
スーパー店員
私たちの生活に欠かせないスーパーマーケット。
そこで働く店員さんの大変さも、わずかな期間ながら体験しました。
正社員での入社でしたが、人員不足のため未経験にもかかわらず様々なことを任されました。
開店準備、品出し、レジ打ち、発注、レジ締め、閉店作業・・。
給料のわりに拘束時間がとても長く、ときには「買った豚肉のグラムが表示より少ない」といったクレーム対応のため、お客さんの家に謝罪に訪れることもありました。
大企業の流通、小売業ならばもっと待遇も良いのかもしれませんが、私が入社したのはローカルの中堅スーパー。
家族を養っていくほどの収入は得られず、退職に至りました。
パチンコ店員
私が現在の工場の前に働いていたのは「パチンコ店」です。3年間ほど勤めました。
パチンコ(スロット)はもう10年以上やっていませんが、以前は頻繁に通うパチスロ好きでした。
当時はいわゆる”爆裂機”の全盛期で、北斗の拳や吉宗が人気でした。
最終的には主任となり、スロットの設定変更や、ちょっとしたクギ調整もするようになりました。
しかし私に退職を決断させたのは「腰痛」と「収入」です。
現在のパチンコ店はICカード化が進み、スタッフの労力は軽減されているようですが、当時のお店は大当たり時にお客さんのドル箱を足元に下ろすという作業があり、ひどい腰痛に悩まされました。
また、主任といっても大きく給料が上がることもなく、家族を養っていくには足りません。
「とにかく長く働けて、安定した収入が欲しい」
そんな思いで転職活動をした結果、現在の工場に出合うことができました。
転職するには年齢的にかなりリスクもありましたが、幸運にも採用されて現在に至ります。
人生における選択の「正解」など人生を終える瞬間まで分かりません。
しかし、この転職が「高卒フリーター」から始まった私の「底辺人生」の大きな岐路となったのは確かです。
「底辺の仕事」を転々とした理由
私がいわゆる”底辺職”を転々とした理由のひとつは、やはり「高卒」だったことにあります。
「理由のひとつ」としたのは、高卒でもしっかりとスキルと経験を積み上げ、立派に働いている人もたくさんいるからです。
逆に大卒であっても、社会状況などの環境によって不本意な仕事に就いている人も多くいるでしょう。
「高卒」のデメリット
学歴がすべてとは思いませんが、高卒であることには当然、デメリットがあります。
- 就職先の選択肢が限られる:大卒に比べ、就職先の選択肢が少ない
- 初任給が低い:大卒に比べ、初任給が低く設定される
- 昇進のチャンスが少ない:大卒に比べ、昇進のチャンスが限られている
- 賃金格差がある:大卒に比べ、生涯賃金が低い
- スキルアップの機会が少ない:大卒に比べ、スキルアップの機会に恵まれにくい
高卒であっても、努力次第でスキルアップやキャリアアップは可能です。
しかし、大卒に比べて成長のチャンスや仕事の選択肢が限られるのが現実です。
厚生労働省の調査によると、男性の平均賃金は高卒者が 297.500円、大卒者 は392.100円となっています。
参考:令和4年賃金構造基本統計調査
月収におよそ10万円の差があり、単純計算で年収にして120万円、40年間に換算すると4800万円になります。
実際には賞与にも差がつくので、生涯の収入の差はおよそ5000万円にものぼります。
高卒”底辺職”のループから抜け出すには?
「底辺職といわれても、現在の職種が自分に合っている」
そういう人は自信をもって、今の仕事に取り組むとよいでしょう。
給与面に不満があるならば、転職活動によってもっと収入の良い同業他社が見つかるかもしれません。
「周囲の目も気になるので底辺職を抜け出したい」
そんな人は新たな職種に就くための「学び直し」を始めましょう。
社会人の学び直しの場は以前からありましたが、近年は「リスキリング」と呼ばれ社会的に広がりを見せつつあります。
「リスキリング(Reskilling)」とは、職業能力の再開発、再教育のことを意味します。
近年では、企業のDX(デジタルトランスフォーメーション)戦略において、新たに必要となる業務・職種に順応できるように、従業員がスキルや知識を再習得するという意味で使われることが増えています。
政府は、リスキリングなどの「人への投資」に「5年で1兆円」を投入する方針のもと、リスキリングを進める個人や企業への助成を拡充しています。
政府が推進するリスキリングは、IT人材の育成を目的としています。
今後さまざまな分野のデジタル化が進む中でIT人材の不足が懸念されているため、政府が補助金を大学や各種講座に提供します。
”底辺職”からの脱却を目指す人は、将来性の点でも有望なIT業界に的を絞るのもひとつの方法です。
まずは副業から
「学び直しはしたいけど、何をやったらいいか分からない」
そんな人は余暇や休日を利用してできる「副業」から始めるのがおすすめです。
副業ならば収入が減ったり無くなるリスクもありませんし、うまくいかなくても撤退して別のことを始めればダメージはありません。
もし失敗しても、学んだ知識や経験はムダにはなりません。
現在の工場の業務内容と収入
いくつかの”底辺職”を経験してきた私ですが、現在は食品工場で働いています。
- 従業員50名ほど
- 大手企業の関連会社
- 課長兼包装工程オペレーター
- 日勤のみ
- 年収600万円ほど
詳しい業務内容と収入は別の記事で紹介しています。
(現在)クラウドソーシングで副業中
過去に転職を繰り返してきた私ですが、年齢的なこともあり現在は転職は考えていません。
妻子、住宅ローンありの身には、転職はリスクが高すぎます。
しかし、現在の収入に満足しているわけではなく、アフター5や休日を使って副業をしています。
- Webライター
- 記事の校正、リライトの請負
- 電話相談
- サイト運営
サイト運営以外はおもにクラウドソーシングサイトを利用した集客で、安定はしていませんが1か月2~5万円ほどを稼いでいます。
(将来)60歳定年で独立が目標
転職はあきらめていますが、このまま工場勤務で終わりたいとは思っていません。
60歳で退職金を貰ってからは、個人で事業を始めるのが目標です。
現在はそのための準備期間として、副業で経験やスキルを積み重ねています。
”底辺職”でも生活が安定すれば問題なし
現在の工場勤務を含めて「底辺職」を渡り歩いてきて感じるのは「職種はどうあれ、継続可能で安定した収入があればOK」ということです。
しかし、拘束時間が長く自分の時間が取れない仕事は、副業や学びに時間を割けずジリ貧となる恐れがあります。
やはり大切なのは仕事内容と収入、そして余暇時間のバランスが取れた「ワークライフバランス」ではないでしょうか。
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