めがね課長です。
今回は「高卒工場勤務の底辺人生」シリーズ「都落ち編」です。
前回までの記事をまだご覧になっていない方は、ぜひごご一読くださいね。
食品工場(大手関連会社)オペレーター歴18年。
現在も課長職として働く高卒・工場ワーカー。
過去に記者、IT関連営業など10を超える職種を経験。
現在は副業でブログ運営、Webライターとして活動しながら、定年後の”独立”をめざしています。
東京から地方へ移住
前回の記事では、高校卒業後フリーターとなった私が上京を決意し、
都内でさまざまな職を転々する経験をお話ししました。
そんな私が結婚を機に下した大きな決断。
それは「都落ち」。
東京から地方への移住でした。
なぜそんな決断をしたのか、それについて今日はお話ししたいと思います。
結婚し、これからは家族を養っていかなければならないという現実に直面した私。
東京での生活に将来の不安が募り、妻とも相談の上、田舎への移住を決意しました。
そのタイミングで妻が第一子を妊娠。
これが、私の人生における再スタートを切るきっかけになったのです。
田舎での生活に不可欠なもの、それは「運転免許」です。
それまでは、免許を取得するための資金的余裕すらなかった私が、ようやくそのハードルを乗り越えることができました。
選んだ移住先は、妻の実家にほど近い地域で、私にとってはまったく縁のない土地でした。
しかし家族のためには、迷っている時間はありません。
振り返ると、義両親の様々な支援を受けることができ、この選択は本当に正解だったと思います。
田舎に移住した私が最初に取り組んだのは仕事の確保と、足となるクルマの購入です。
新しい住居を確保するには、まず働いていることが条件となります。
そこで、引っ越す前に現地まで足を運び、就職活動を行いました。
東京を離れる前に見つけた不動産関連の営業職に内定をもらっていたものの、土壇場で内定が取り消されるという事態にも直面。
理由は推測でしかありませんが、学歴を理由に本社からの指示で取り消されたのではないかと考えています。
宅建資格を持っていなかったことも、不利に働いたかもしれません。
第一子誕生
そして、待望の第一子が誕生し、ますます家族のために早く働かなければという思いが強まりました。
しかし、住宅メーカーや保険会社の面接を受けるも、ことごとく落ちてしまいます。
おそらく、学歴に加えて地域に縁故関係がないこと、人脈の欠如が大きく影響していたのでしょう。
特に保険会社は、縁故を利用した営業が必要であると感じさせる対応でした。
そんな中、知ったのが「配置薬のルート営業」です。
各家庭に薬箱を置かせてもらい、使用した分だけを後から支払ってもらうというビジネスモデル。
近隣に薬局や病院が少ない地域ならではの仕事であり、主に高齢者が顧客です。
当時はまだドラッグストアが今ほどの影響力を持っていませんでしたが、将来性を考えると厳しい道だと思いました。しかし生活するため、そしてアパートを借りるためにはこの仕事を選ぶしかありませんでした。
それでも、低収入、将来性の不安、慣れない運転によるストレスが重なり、約半年で転職を決意することになります。
その後はスーパーの店員として働きました。
全てのスーパーがそうではないと思いますが、その時の勤務先は労働時間が長い割に給与が低く、人手不足が深刻でした。
商品の発注や陳列、お金の管理、レジ対応、さらにはクレーム処理まで、ありとあらゆる仕事を任されました。
消費者としては、なるべく安価な店舗を選びたくなるのが自然な流れですが、その影響が従業員の待遇にまで及んでいるかと思うと、なんとも複雑な気持ちになります。
飲食業も含め、こうしたサービス業の劣悪な労働環境が改善されるといいですね。
振り返ってみると、私のこうした転職行動は、転職に失敗する典型的な「悪循環に陥るムーブ」でした。
- 転職先が決まる前に会社を辞めてしまう
- 仕事がなかなか決まらず焦る
- 余裕がなくなり、精査することなく就職
- 収入、待遇に不満を抱き辞めたくなる
- 転職活動へ
といった感じです。
長く勤められる会社に出会えるかは「運」の要素もあると思います。
しかし、余裕をもって始めない転職活動はムダな時間を費やし、ブラック企業に捕まる可能性もあります。
地方での生活は、スキルを持たない高卒者にとって、東京以上に就職のハードルが高いと痛感しました。
そうした中、収入が高くないサービス業が大きな受け皿となっている現状があります。
高卒ノースキルの私が、自分の能力や経験をどのように活かしていくべきなのか、常に考え続ける時期でした。
そんな不安定な状況の中、妻が第2子を授かります。
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